昭和41年01月02日 朝の御理解
どういうお粗末や、不行き届きがありましても、神様は、今日も一日御用にお使いいまわし頂きますようにという願い。これは、もう切実な、私のような、私のようなもの。綺麗でもなからなければ、素直でもない。そういう者を、御用にお使いまわしを頂くんでございますから、ほんとにあの、お使いまわしを頂きにくい、お使いにくうあんなさいましょうけれども、どうぞ、それこそどうぞ御用にだけはお使い下さいませ。
これはあの、私が朝の御祈念にもう必ず、例えて言うなら、風邪をひいて具合が少し悪い、とういうような時でもです、これだけは私はもう一生懸命でお願いをさしてもらいます。ですから、ここんところを、おかげでだから、こうしてお使いまわしを頂きます。そんなら、神様が喜んで下さるような信心、あり方になっておらんのでございますけれども、どうでもこうでも御用にだけは使うていただきたい。
そこで例えば、風邪をひいておっても、お腹を悪うしておっても、ね、それなりにやはり御用にだけは使うて下さる、ね。これは、朝の御祈念をいたします時に、もうその心の底からこの事だけは願わせてもらう。そこで願わせて頂くかわりには、ほんとに御用にお使いまわし、まあそれこそ出来るだけ、御用にお使いよい、私の状態になっとかなければなりませんので、どうぞ、限りなく美しゅうもならせて下さい、ほんとに素直にもならせて下さいということに、次の願いになってくるわけなんです。
そうで御座いましょうねえ。ちょっと〇〇さん、というても、「はいちょっとこればしよりますけん」、とこげなふうなこと言うならもう使う気はせんでしょうが。なにをおいてもです、まずは「はい」という時には、もうこちら向いてやって来ておる。そういういわば、人でなからなければ、御用には使われませんね。ちょっとお食事がありよるけんお給仕をして下さいと、例えばお給仕一つさして頂くでもです、ね。
昨日の、昨夜でした、ある方のお届けの中に、今朝からお夢を頂きましたがもう、恥ずかしゅうして御結界にお届けが出来ませんと、ですからもう下がってからでした。着物はこう寝巻きのごたるとば着とる。帯はもうしとるやらしとらんやら分からんぐらいずんだれとる、というようなお夢であった。でそういう人にです、ちょっとご飯のお給仕して下さいなんて、頼むごともありませんよね。そうでしょう、ね。ほんとにお給仕もして頂きたいと思うなら、やっぱ小綺麗にして、ね。
ある人が、付き添い看護婦会の、あたくしの知った人が、開成看護婦会という看護婦会をしておられました。その人の、まあ、笑い話のようにして、ほんな話なんです。ある人から電話がかかってきとる。「食欲のつくごたる、付添い婦ばやってくださいち。」。病人ですから、ご飯がいけんのですよ。食欲のつくぐらい、ごたるその、付き添い看護婦をやってくれというてその、電話がかかってたって言ってから笑ってますけども、しかし確かにそうですね。病人、お食事もいけん。
そしてその人の顔見たら、何か食べたいと思ってもかえって食ぶるごとねいごとなったちゅうごたったら、やっぱそうですよね。御用にお使いを頂きたいと。もう本当に私どもはです、ほんとに神様に御用にお使いを頂き頂ける事なったらです、確かに健康は神様が約束して下さいますよ。神様が御用にほんとにお使い下さるということになればです、もう金銭に絶対不自由はいたしませんよね。これはもう一切にそうです。
ですから、ね、体の上での御用のお使いまわしを頂きたい。金銭の上にも御用のお使いまわしを頂きたい。もうありとあらゆる。頭なら頭でほんとに御用にお使いまわし下さろうとするなら、その人の頭をいよいよ明晰にして下さるでしょう、良い頭にして下さるでしょう。あたくしは今度御造営の事についての方も、秋永先生がもうようも委員長のおかげをいただいておったと思うんです。
ただ委員長という名だけじゃいかんのです。もちろん勉強も致しておりますけれども、いわゆる建築ということに、非常に明るいんです。それはもうあの前日も、大工の、あの、あそこの監督をしております方が見えてから、もうここの委員長ぐらい、ある意味でならうるさい。また、詳しい人は、もう迂闊なこっだん言われんと、ね。言葉でも、いわば玄人の話す話で通じるというて、言うておられました。
勉強しとるからです、ね。その、なら私どんごたる、なぁんも、なら建築に明るさ、明るさを持たない、知らない者が、委員長になってごらんなさい、もうほんとに、あっち任せになってしまうだろうと、こう私は思うですね。それでいてはじめて、御用に使うて頂けれるのです。これは、私がその朝の御祈念に、御祈念に、もうどうぞ、どうぞ今日も御用にお使いまわしを頂きますように。もうこれは切実に願うこと。御用にお使いまわしを頂きますようにと。
それで、お前のような心の状態で神様が使われんと仰る。お前のように汚れはてた者がどうして使われるかと。お前のように素直でない者を使うわけにはいかん。神様が使うごとあんなさるまい。そこで限りなく素直にもならせていただこう、限りなく美しゅうもならせていただこう。できんなりにもそこに精進する。努力する。そして、どうぞ御用にだけはお使いまわし頂きますようにというところに、健康が約束されるのであり、一切の御用の上に、お使いまわしがいただくことができるのです。
これは皆さんでも本当にここんところをお願いなさっておられるだろうと思いますけれども、その御用がです、ほんとに御用にならなければいけないという事は勿論です。お商売をなさっておられる方、お百姓をなさっておられる方、様々なその、いうなら仕事をなさっておられる。その仕事がそのまま、神様の御用と、自分としての御用として頂けれる、私は内容にならなければいけないと言う事でございますね。
神様が使うて下さいます。神様がより使うて下さろうということになればです、ね、私は一切の上に不自由のない。例えば、もう私、ここ一週間あまり、風邪気味でございます。けれどもなら、寝つかなければならんというほどしの事でもない、ね。それは、やっぱり一生懸命の御用にお使いまわしを頂きますようにという願いを神様が聞き届けておってくださるから、お粗末御無礼で風邪をひいておるけれども、そこのところのお詫びをさせてもらい、御用に使うて頂きたい。
お役に立ちたいお役に立ちたいというその一心をです、神様がお受け下さって、お役に使うて下さる、御用に使うて下さるのじゃなかろうかと。ですから、皆さんもなさっておられる、いわゆる仕事そのものがです、やはりお役でなからなければいけないと。お役に立つ為の、いわゆる御用じゃなからなければならないと、内容が。昨日、夕食を頂いておる時でございました。
福岡の、松岡さん達が親子でお礼に出てまいりました。それでご承知のように唐人うどんという、いわゆるうどん屋さんなんです。いわゆるうどんにはそばがつきものですから、うどんそばというのですから。もう31日のもうそれこそもう夜通しだったそうですね。それが先生今年のあら、そのあらわれよそのあたりはもう不景気、不景気だったそうですね。でもその運そばぐらいは食べようもんち、いくら不景気でも。
ところがこの、どういふうにだったかというと、先生、今年の運そばはですね、いわゆるみんな高級そばだったそうです。かしわそばを、とか、いわゆる具入りそばが多かったちゅうわけですね。これはもう、みんなが、今年は違うということを、御用させて頂きながら感じたというぐらいです。ですからもう夜通しですから、もう昨日のその、家族の者達が起きられんて、そんならもう午後の遅うなった。
もう、お祭りには結局お参りが出来ないから、まあ家で、その、一通り正月のしるしさせていただいて、こっちに見えたのが、だからもう夕方だった。もう先生、今年のごたる感激、感激的なその、家族中でのお正月はございませんでしたち。私も自分ながらたまがるぐらいにその、張り切っていましたち。私、家族の者がおせち頂きます前に、ね、みんなに頼みましたっち。子供達にも、家内達にも、嫁達にも。
今年はどうぞひとつおかげを頂かせてもらい、御用に使うて頂だかんならんから、お互いが病気でんせんごと、まず願わにゃいかんぞという事。おまえ達も知っておるとおり、椛目の御造営があっておるのだからね、御造営の済むまでは、ひとつなんにも作らんぞ、買わんぞ、家もあつかわんぞ。やはり、食べ物のあつかいをするのだから、お店なんかは毎年そこを美しゅうし、ここを広げたり致しますけれども、御造営が始まってこの方というものは、なんにも買わない。今年も、それはやっぱり続く。
そればいいよりましたらもう声が大きゅうなってですね、親先生のお説教のごつなってから、そしてもう感激した、感激してからその、私が伝えますもんですから、家族中のものも、それに感激してから、もうそれに応えるようにです、ほんとにおかげを頂こうと。神様にお約束させて頂いておる、これこれの御用がです、もう着々としてこう出来ておる。お話を頂きゃあ、三千万が六千万にもなったという話じゃが。
これはいよいよ、倍の御用にお使いまわしをいただかにゃでけんぞと言うて、それが私の正月の、家族の者に対する挨拶でございましたが、家族の者は皆それに「おお」と応えるようにです、感激いっぱいで、私も伝えるなら、それを聞いてくれる家族も、やっぱそうでございましたということを、昨日、話させておりました。御用に使うて頂きたい、御用に使うて頂きたいという願いを持っておるのですから、ね、
ただいま申しますような、その松岡さんのその事ぐらいなです、こっちは填りがなからなければ、神様はやはり御用には使うて下さりませんよね。思うちゃおるけどもずんだれとる。もうきりきりとして仕事にかかるかと言うてもね、まだいつまででん寝巻きどん着とるというよなことではです、ね。何々さん、といっても、はいちょいとこればしよりますけ、というようなことでは、もう二度とその人に、御用に、いわば、何かに頼もうという気もしないようにです。限りなく素直に。
限りなく美しゅう。神様の御用一筋にです御用を中心にです、いわゆるうどん屋さんでもそばやさんでも、それがそのまま御用になるとゆう事です。そこんなって私は初めて、御用ということにが、言えるのじゃなかろうかとこう思うのですね。お役に立ちたい本気でお役に立ちたいと、どの様な事においてでもお役に立ちたい。その一念があって始めて私はそれが御用という事になるのじゃなかろうかとこう思うのですね。
これは皆さんもそうであろうと思いますけれども、私が、これは特に、朝の御祈念にです、ね、夜は、ほんとに今日も御用にお使い回しをいただきまして有難うございましたと。夜は、ね、ほんとに御用にお使いまわしいただいて有難たかったというほどに、ね、もう神様今日はもうへとへとになるほど、御用にお使いまわしいただきました。神様喜んでくださらんはずがありません、ね。
ですから朝にやはり今言いますその内容、中身にですどうぞ今日もちっと頭が痛うございます。今日も少しお腹が悪うございます。体の調子が悪うございますけれども、神様御用にだけは、御用にだけはお使いまわしを頂けます様にという、私は願いを持たせ頂くところにです、ね。そんなら心の状態が御用に向きますような、御用にお使いまわし頂きます様な、御用に使うていただけれる、その内容とうものをです、そうあらなければならん、そうありたいという願いをやはり持たんわけにはまいりません。
今日も御用にお使いまわし、どうぞ御用にだけはお使いくださいというこの願い。その願いが神様に聞き届けられる時に、私どもの上にです、まず健康が許されるでしょう、ね。金銭、経済的なことにも許されるでしょう。一切の幸せがです、自由無碍に許されるでしょう。自由自在な御用にお使いまわしをいただく事の為にです、私そこんところのお働きいただけることを私は確信いたします、ね。ためには、まあひとつの例として、松岡さんのお話させていただいたんですけれどもです、その私御用に立ちたいという、願いを持つからには、それだけの一途の願いというものがです、なからなければならんというふうに思うのですね。
どうぞ。